雛人形・五月人形

雛人形・五月人形 江戸木目込人形 柿沼東光

  子供の節句|『羽子板』の由来・『破魔弓』の由来・『雛人形』の由来・『五月人形』の由来

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『羽子板』の由来

江戸時代、大名や公卿などの間では、女の子が生まれた家に初正月の祝いとして、相手の家紋を表面に付けた美しい飾り羽子板を贈る風習がありました。この金銀の箔を押すなど、精巧な細工をこらした羽子板が「左義長(さぎちょう)羽子板」です。
 羽根つきは、もともと新春の災厄よけのまじないから生れた遊びです。中国に生まれ、室町時代に日本に渡来したと考えられていますが、江戸時代には、正月に羽根つきをすると夏に蚊に刺されることがないと信じられていました。この羽根つきは、江戸の女の子が楽しむことを許された唯一のスポーツでもありました。

『破魔弓』の由来

男の子の初正月の祝いとして贈られる破魔弓は、小さな弓と矢を組み合わせたものです。弓は武士にとって重要なものでしたから、江戸時代には、武家の男児が成長して立派な武士として出世することを願い、手遊びに使えるような弓矢が贈られました。その風習はやがて民間にも伝わり、現代に至っています。昔から、弓には魔を退(しりぞ)ける力があると信じられていました。そこから、初正月に飾る弓を、魔を破る弓、すなわち破魔弓というようになったのです。
 新春に、この破魔弓を実際に使って的を射る遊びが、男の子たちの間で行われていた時代もありました。その後、破魔弓の作りがしだいに豪華になっていくにつれ、そういう遊びも行われなくなり、やがて飾ることが主流になっていきました。
男児のお正月飾りとして受け継がれています。

『雛人形』の由来

3月3日は、五節句の二番目「上巳(じょうし)の節句」にあたります。中国には、この日、水辺で身体を清め、宴会を催し、災厄を祓うという風習がありました。こうした中国の節句の行事と、日本に古代から伝わる禊祓(みそぎはらい)の思想や、「人形(ひとがた)」を流す風習とが混じり合い、日本ならではの上巳の節句となりました。 上巳はじょうみとも読まれ、本来は三月の最初の巳(み)の日という意味でしたが、かなり古い時代から3月3日に行われるようになりました。
 日本では上巳の節句に、人の形を草木や紙でこしらえ、それで身体をなでて自分の厄を移し、水に流して祓いとしました。この時のなでものを「人形(ひとがた)」と呼びます。この「ひとがた」が、後世の雛人形の始まりではないかと考えられています。

『五月人形』の由来

菖蒲(しょうぶ)を用いる邪気祓い(じゃきはらい)の節句は、江戸時代、武家の男子の成長と出世を願う尚武(しょうぶ)の節句となりました。
勇壮で華やかな五月飾りは武家社会の江戸に始まり、しだいに各地に広まって、今日のような日本の初夏の大切な行事になりました。
はじめ天の神様を招くため戸外に立てた武具やのぼり旗は、江戸中期以降は内飾りにも作られ、また、兜の飾りに取り付けられていた人形がやがて独立して、さまざまな五月人形になりました。ことに武家社会では端午を象徴する菖蒲の音が「尚武」に通じることから、この日は跡継ぎの将来を祝う大切な祝日でした。この「尚武」を現代的に解釈するなら、男の子が多くの困難に打ち勝ってたくましく成長することと考えてよいでしょう。身を守るための鎧兜や、あるいは五月人形を飾る習わしの中には、わが子の健全な発育を祈る両親や家族たちの、真剣でしかもあたたかな祈りが込められているのです。
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